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Eritrea    Sightseeing(Not Railway)
エリトリア  観光(非鉄、無煙)2-23

2018年11月に2回目の訪問です。前回の訪問は2011年9月〜10月です。その画像を23回に分けて
掲載します。1〜22はすべてエリトリア鉄道の画像です。最後の23のみ、番外編としてエリトリア
観光の画像です。鉄道撮影は7日間で、その前1日と、その後2日間を一般観光しています。あま
りなじみのないエリトリアのごく一部の断面を見ていただければと思います。

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Asmaraの町はずれにある「戦車の墓場」。エリトリアは1881年〜1941年のイタリア支配、
1941年〜1952年のイギリス支配、エチオピアとの連邦国家として1952年に独立したものの、徐々
にエチオピアの支配下に置かれるようになった。そして1961年〜1991年の30年間もの長いエチオ
ピアからの独立戦争を経て、1991年に独立した。その独立戦争当時の戦車などの兵器の残骸が国の
いたるところに残っている。それらの一部を集めたのが「戦車の墓場」と言われる場所です。

  
主にソ連製の近代兵器を持つエチオピア軍と武器の乏しいエリトリア軍の戦いだったようです。
兵器の残骸の多くはエチオピア軍が残したものとのこと。また独立戦争中には、エリトリア内部
でのエリトリア人同士の武力闘争もあったとのこと。

  
独立した後も、1998年〜2000年にエチオピアとの間で国境紛争が起こり、紛争終息後も国境では緊
張状態が続いたとのこと。ようやく2018年にエリトリアとエチオピアが和平条約を結び緊張状態が
解けたようです。1961年以降2018年まで紛争状態にあったことになります。国交回復後、両国間
を結ぶ飛行機が飛び、エチオピア産のビールも大量に出回っています。

  
アスマラから約90km離れたケレンへの街道にも戦車の残骸が。後方では、穀物らしき袋で満載の
トラックが通ります。
 

  
  これも同上の街道筋に

  


  
  
  

  
元ケレン駅の駅舎、現在はバスターミナルとして利用。アスマラ〜ケレン〜アゴルダト間(約
190km)にも鉄道があったが、独立戦争時に破壊され、そのまま放置となった。将来、再開の計画
はあるようです。さらにはスーダンまで伸ばす計画もあるとのこと。アスマラ〜マッサワ間
(約120km)は2003年に再開できたのだが。

  
  同、元ヤード側。広場でバスターミナルとしても利用されている。  

  
  元ケレン駅の機関庫

  
  元貨物ヤードの片隅に線路が残っている。

  
  アスマラ〜ケレン間の線路跡、Sカーブの築堤が見て取れる。
  

    
古い車が結構現役で走っている。キューバのアメ車、エリトリアのヨーロッパ車といったとこ
ろか。ただ、車の知識がゼロなのでよくわかりません。

    
  アスマラの街角

  


    
  

    
  

  
  自動車修理工場

    
  後ろの建物は中央郵便局

  
アスマラの街並み、イタリアの植民地時代の都市計画で作られた町とのこと。その当時の街並み
がそのまま残っている。

     
  信号がまったくありません。あってもまったく使っていません。

  
現在でも通用しそうなデザインのガソリンスタンド。屋根が片持ちで支えられている。1930年
代に作られたそうです。

  
  アスマラの町の喧騒、治安は良好です。
  

    
  アスマラの果物市場

  
  アスマラの唐辛子市場。ここを歩くと鼻がむずむずしてくる。

  
  赤いのが唐辛子

  
アスマラの金物市場、製造の傍ら販売です。空き缶などを利用して巧みに金物に仕上げます。
金物のリサイクルです。  

    
  同上

  
  ケレンの青空市場、日用雑貨、野菜などを販売

  
  同上

  
ケレンのラクダ市場。毎週月曜に開催。ラクダを始め、牛、ヤギ、ヒツジ、ロバなどの家畜が売
買される。ただどのように商談をすすめているのか分からなかった。家畜がどこからともなく現
れて、どこへとなく去っていきます。ラクダの値段は、いろいろとのことですが、若くて大きい
ラクダだと8万円位だそうです。所得水準を考慮すると、日本なら100万円相当の価値があるよ
うに思えます。日本で小さな車を買うようなものでしょうか。

  
  アップで見るととぼけた顔をしている。

  
  渋い感じのラクダ使いのおじさんです。

  
とにかく数100頭以上のらくだが集まっている。この市に参加するために、全国から数日かけて
くる売人もいるそうです。

    
  

    


    


    


    


    
  

    
こちらは牛市場です。ラクダ市場と同じ場所ですが、各々場所を分けて売買をしているようです。

  
  こちらはヤギ市場。

  
私たちがアスマラでよく利用したイタリアンレストランの入り口。イタリアの植民地だったことも
あって、イタリアンレストランが多くある。味は良いと思います。しかし、量が多く、日本人はお
ろかドイツ人でも食べ残す人が多かった。ここはアスマラでも高級なレストランなようで、メイン
デシュで1000円を軽く超える。スープ、メインディッシュ、ビールなどを頼むと2000〜3000
円にもなる。でも現地の人々で賑わっています。貧富の差がかなりあると感じます。
エリトリア入国には東京のエリトリア大使館でビザを発行してもらう必要がある。郵便で手続きが
可能で約2週間程度かかる。入国出国の手続きは、日本人の場合簡単にすみますが、マスコミ関係
者は面倒と聞きます。両替は、ドル、ユーロからのみで空港・ホテル・銀行のどこでもレートは変
わらないとのこと。やみ両替をあるようです。余ったナクファ(エリトリアの通貨名)は両替したと
ころでドルに変えてもらえる。1ナクファ=約7円。ナクファの国外持ち出しは禁止されている。
外国人はSIMカードを買うことができません。公衆電話はそれなりにあります。またスマホも普通
に使われている。Wifiはかなり普及しており、ホテルやインターネットカフェでつながり、接続制
限はなさそうです。しかし、通信速度が遅くてメール程度しか実用にならなかった。
1〜2分程度の短時間停電は時々起きた。それを越える停電は経験しなかった。個人の家でも衛星
放送用のアンテナはかなり見かけました。また電気のない地域もあり、太陽電池が広まっている。
低緯度にあるエリトリアですが、首都アスマラは標高が2400m程度の高地にあるため、1年を通
して平均気温は20℃前後と非常に快適な気候です。一方、マッサワのように海に面した町は35℃
以上にもなり非常に暑いです。
以上で、エリトリアのごく一部を紹介しました。これでこの時のエリトリア撮影記の終了です。
また、機会を作って行ってみたいものです。 

エリトリア エリトリア鉄道
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  ビデオ:
   その1:1=, 2=, 3=, 4=, 5=, 6=, 7=, 8=, 9=, 10=,11=,
       12=,13=,14=,15=, 16=,17=, 18=,19=, 20=,
       21=,22=, 23=
   その2:1=,2=,3=,4=,5=,6=,7=,8=,9=,10=,11=,
       12=,13=,14=,15= 

この前は、イギリス レイクサイド・ヘブンスウェイト鉄道(1=)です。
この次は、ザンビア・ジンバブエ国境 ビクトリア橋線(1-1=)です。 

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